George Nelson

私がジョージネルソンを知ったのはイームズブーム真っ盛りの目黒通りでした。明らかにオーラの違うシェルチェアがモダンエイジギャラリーに展示されていました。後にそれがSwagレッグチェア MAAと知ることになるのですが、当時の私にはとんでもない存在感だったことを思い出します。のちにジョージネルソンに付いて深く知るきっかけとなったのがPlay Mountainから出たこの書籍。柳本さんがグラフィックデザイン、たしか土田さんが文章を書いていたと思います。(出版された2002年に私は目黒通りから少し外れた場所にローレイダーをオープンします。)

私はジョージネルソンはアソシエイツ(チーム)で活動するデザイン集団のボスだと知ることになります。要するに彼のチームでデザインされたモノやコトはすべてジョージネルソンアソシエイツの名前の元で発売、管理されます。紹介の書籍でも書かれていますが、日本人で当時ネルソンアソシエイツに参加した方がいます。山内陸平さんという方で、山内さんのコラムで当時の事が詳しく書いてあります。(必読!)

ジョージネルソンアソシエイツには優秀なデザイナーが多く在籍し、アービング・ハーパーやジョン・パイル、チャールズ・ポロックなどがいました。ネルソンアソシエイツの公式のwebがあります。こちらにどのデザイナーが担当したかすべて記載があります。

そしてジョージネルソンの1番の功績は自身がデザインディレクターを務めていたハーマンミラーにイームズ夫妻、イサム・ノグチを紹介したことだと思います。

さてここからは私が実際に使用したことのあるジョージネルソンアソシエイツの作品に付いて書きます。デジタルデーターの写真が残ってなくて、フィルムで撮影した一時期の写真しか見つからなかったのですが、ご紹介します。

一番最初はハーフネルソンランプ(参考画像)をローレーダーで仕入れます。たしかe-bayで購入しました。なんとなく安かったのですが、届いたものはスイッチのパーツが欠品していました。

 

次に購入したネルソンはSwag leg desk。実はこれは日本規格の脚が少し短いバージョンです。ハーマンミラーを最初に日本に紹介した方から譲っていただきました。わかりにくいですが、仕切りのカラーが珍しいカラーリングでした。当時のパートナーがJH-701と合わせてました。(脚が短いのでベストマッチ)

 

 

同じ時期に手に入れたのが珍しいベンチ。籐のベンチですが、当時から高くてe-bayで1900ドル近くしたのを覚えています。ただ当時フィンユールを商売にしていたので1900ドルが安く感じたのは恐ろしいですよね。このベンチはすごく好きでしたが、コネクトオークションで売却してしまいました。

 

 

酒匂川沿いのマンションではSwag leg desk、藤のベンチ、Thin edgeのキャビネットを使っていました。これはFAX電話の台にしていました。

 

同じ時期にSwag leg MAAチェアを2脚同時購入します。モダンエイジギャラリーでオーラを放っていた椅子を遂に手に入れました。実は同じ時期にsling sofa(参考web)を手に入れます。実はMAAとこのソファ、163センチの私には大きすぎて脚がつかないという理由で倉庫から出さずに売却しました。その後、原宿の坂倉のマンションでカンガルーチェア(落札したその物)を購入するのですが、これも大きすぎて使えないというオチがつきました。

 

箱根の家のリビングのセットがページ右のカテナリーチェアとテーブル。ポールケアホルムを彷彿させるスタイルで、前記のsling sofaはこれに合わせる予定でした。

 

以上が私のネルソンアソシエイツの実体験です。どれもデカイなというのが印象です。時計も何個か使ったのですが、記憶が曖昧です。あと日本規格の大きなデスクなども何度もリサイクル屋から仕入れてますが、重役感凄すぎてあまり好きではありませんでした。この重役感あるネルソンシリーズは天童木工が真似をして同じような家具をたくさんリリースしていたと思います。

ジョージネルソンアソシエイツ、ネルソン個人どれも私にとってはスタイリッシュなイメージがあります。編集者的な役割をしたネルソン。おそらく世界中の良いモノをみてきていると思います。日本へも1951年に初めて来てから、何度も来日しています。これ以上書くとキリが無さそうなので、この辺りにします。

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